太陽発電

2010年10月15日金曜日

Paul McCartney John Lennon


ジュリアン・レノンはPaul McCartneyと「結構固い」絆があるそうだ。John Lennonの息子で写真家のジュリアンは、子供の頃にPaulと親しくなってからというもの、今でも定期的に連絡を取っているのだという。

ハロー!誌にジュリアンは「父がPaul McCartneyに作ったコラージュ写真の本があって、Paulがそのコピーを僕にくれたんだ。すごく素敵だったよ。それに僕についての『ヘイ・ジュード』を書いてくれたから、ポールとの絆は結構固いのさ。今年の夏、ポールがロンドンのハイドパークで演奏した時にも会ったけど、最高だと思ったね」

2人は、今でも特別な出来事の度に、カードとプレゼントの交換をしており、またいつでも出来るだけ会うようにしているのだそうだ。「毎年クリスマスと誕生日には、カードとプレゼントを贈っているよ」

現在47歳のジュリアンは、ジョンとオノ・ヨーコとの間に産まれた異母兄弟ショーンとも定期的に連絡を取り続けているという。

「僕らは仲がいいよ。マスコミは僕らの間に長年確執があるって言っているけど、これまで喧嘩したことは一度もないんだよね。ショーンを傷つけるし、ショーンのお母さんも傷つくから、その記録を消そうとしているんだ。いつも親しい間柄だよ。僕にとっては血の繋がった兄弟さ」

さて、誰もが知ってるポールです。
アルバムとしてのセールスは思ったほどではありませんでしたが、マイケル・ジャクソンとのデュエット(2)「セイ・セイ・セイ」は、大ヒットを記録しました。
ただ、そのエンターテイメント性の反面、ここでのPaul McCartneyは真面目に“愛と平和”を訴えています。
しかし、John Lennonと違い、あくまでもメロディを重視したPaul McCartney流の“愛と平和”の提唱となっていて、ここでもポールとジョンの対比が確認出来ます。

そして、それが“タッグ・オブ・ウォー”なのです。

「ザ・ビートルズを解散させた女」として非難され、当時、ビートルズのメンバーと不仲だったといわれるオノ・ヨーコだが、1970年代初期に彼女とジョン・レノンの結婚を救ってくれたのは、世間から“犬猿の仲”だと思われていたPaul McCartneyその人だったという。

1969年に結婚したヨーコとレノンだが、1973年、レノンはヨーコの住むニューヨークを離れ、秘書のメイ・パンとともにLAで生活を始めた。後にレノンが“Lost Weekend(失われた週末)”と呼んだ18ヶ月間の別居生活を送った。

『Times』紙によると、ヨーコはJohn Lennonの70回目の誕生日(10月9日)を記念して行なわれたインタビューでこう明かしたという。「Paul McCartneyからLAにいるジョンに会いに行くけどって言われたの。“どうしたら、ジョンと戻ることができる?”って訊かれたから、“そうね、彼に求められたら、多分”って答えたの」

Paul McCartneyがジョンのためにしてくれたことは本当に感動的だったってこと、世界に知ってもらいたいの。彼は、John Lennonが悪い状態だ、ひどい状況にいるって噂を聞いて、心から昔のパートナーのことを心配していた」

「業界の偉い人たちからも電話をもらったわ。John Lennonを迎えに行け、彼とよりを戻せって。でも、そういう人たちは親切心から心配してたんじゃない。ビートルズがいつか復活するのを望んでて、彼らにとってJohn Lennonは必要な人間だったから。でも、ポールと(彼の妻の)リンダは純粋にジョンのことを心配していた。彼はJohn Lennonを救いたかったのよ。それって本当にスイートだったわ」

「Paul McCartneyがジョンに対してどれだけ繊細で思いやりがあったか、みんなに知ってもらいたい。もちろん、2人とも男らしいし、才能があって意志も強いから、兄弟のようにケンカはしたわ。でも、問題が起きたとき、ジョンがひどく困ってるって思ったとき、ポールは彼を助けた。John Lennonが頼みもしないのに…ジョンもポールもプライドが高くてそんなこと頼めないのよ。でも、ポールは助けた。John Lennonはよく言ってたわ。なんでポールが俺たちのためにあんなことしてくれたんだろうって。でも、ポールはそうしてくれたのよ」

「ポールに言われたから…」という単純なことではなかったというが、「John Lennonはその後すぐに私を取り戻そうとした。ニューヨークに戻ってきた」という。

1974年11月、John LennonはNYで行なわれたエルトン・ジョンのコンサートに出演。そこでの再会をきっかけに2人の関係が修復されたのは有名な話だが、この裏にはPaul McCartneyの友情があったのだ。

ヨーコはレノンの70回目の誕生日にあたる10月9日、アイスランドでプラスティック・オノ・バンドとともにスペシャル・コンサートを開催。リンゴ・スター、それに故ジョージ・ハリソンの奥さんオリビアとともに「ハッピー・バースデー」を歌った。

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